国際陶磁器フェスティバル美濃'24 のメインイベント
「国際陶磁器展美濃」を見て、
https://shizukozb.seesaa.net/article/2024-11-18.html
2階の岐阜県現代陶芸美術館で「荒川豊蔵展」を見ました。
https://shizukozb.seesaa.net/article/2024-11-25.html
美濃焼の陶芸家としてまず名前が挙がる荒川豊蔵ですが、
私は、抹茶茶碗のワビサビとかよくわからない‥‥
それでも、なんかスゴイってことは感じまして、
可児市にある荒川豊蔵資料館も行ってみたいと思ったんです。
11月24日(日)、天気も良かったので、まぁここなら
それほど混まないだろうし、紅葉も楽しめるのではないかと。
9月末に風邪をひいて以来、わりと会社を休むようになって
家にいたダンナに言うと、荒川豊蔵なら興味あるからと、
一緒に行くことになりました。
ナビで検索すると、我が家から車で1時間ちょっと。
ナビに従って行くと、道路脇に駐車場がありました。
道を渡ったところに入口が
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杉林の中の道を進むと、(帰りに撮影)
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「牟田洞古窯跡」という石碑があります。
(昭和43年に建立されたもの)
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ここから坂を登った上に
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荒川豊蔵資料館があります。
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特別展「豊蔵の志野・瀬戸黒ー美濃桃山陶への挑み」
が開催されていました。
会期: 令和6年10月4日(金)~12月1日(日)
入館料: 一般210円
(可児市の郷土資料館、荒川豊蔵資料館、戦国山城ミュージアムの3館のうち2館を選べる共通券が310円) 高校生以下無料

荒川豊蔵は「志野」と「瀬戸黒」で
国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。
その「志野」と「瀬戸黒」に焦点を当てた展示。
(展示室内撮影禁止)

昭和8年の《瀬戸黒茶垸》をはじめ、
(これって、初窯で瀬戸黒1点のみ焼成できたって茶碗?)
瀬戸黒茶垸が年代順にずらりと並んでいます。
(出品リストで豊蔵の作品には「茶垸」の文字が使われている)
茶碗の形や黒の色や艶がそれぞれ微妙に違いますね。
私知らなかったんですが、瀬戸黒は、窯で真っ赤に焼けたものを
引き出し、水につけて急冷することで黒い色が出るので、
「引き出し黒」とも呼ばれると。
引き出すタイミングによって黒い色や艶が違うのだそう。
そのため、窯から引き出せる範囲のものしか作れない。
一度の窯焼きで少ししかできない希少なものだそう。
川合玉堂や前田青邨が文字や絵を描いたもの、
秩父宮妃が文字を書いたという茶碗もありました。
《瀬戸黒雪月花文字茶垸 文字:秩父宮妃》昭和40年
優美な文字で良かったなー
また、妻・志づさんへの夫婦の絆についての展示もありました。
明治44年(1911)、17歳の豊蔵と、いとこで13歳の志づが結婚。
ふらふらしている豊蔵を落ち着かせるため?とかで、
親戚に勧められた結婚だったとか。
当時は珍しいことではなかったんでしょうが、13歳!!
転職をくり返していた頃だし、昭和5年に古い陶片を見つけて
志野の再現を目指して試行錯誤する豊蔵ですから、
収入も安定しないでしょうし、そんな中で5人の子どもを育て
(もらった年表から私が数えたので正確ではないかも)
生活していくのは、さぞ大変だったろうなぁーと。
豊蔵も、今あるのは妻のおかげと言っていたそうですし、
昭和43年(1968)に志づさんが亡くなった時には、
黄瀬戸の骨壺を作っているそう。
ロビーでは豊蔵の映像が流れていて、
窯から瀬戸黒の茶碗を引き出して水につける様子は迫力がありました。
豊蔵さんのパネルと写真が撮れます。
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資料館から出ると、紅葉が陽に透けてきれい。
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資料館の白い壁に木立の影が映っています。
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坂を下っていくと、陶房があります。
午後2時半なのに、谷はもう陽が陰って小寒い。
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荒川豊蔵資料館は、
陶芸家であり、志野・瀬戸黒で国の重要無形文化財保持者に認定された故・荒川豊蔵が、自身の作品やコレクションを公開し、見識を深めていただきたいという思いから創設され、昭和59年4月より開館いたしました。その後、平成25年4月に土地・建物・収蔵品が、財団法人豊蔵資料館より可児市に寄贈され、同年10月に荒川豊蔵資料館として再オープン。平成29年4月からは、旧荒川豊蔵邸の敷地を、居宅や陶房と共に公開しています。
(もらったリーフレットより)

「美濃桃山陶の聖地」として整備改修する事業についての
説明がありました。
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陶房のロクロ場
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荒川豊蔵資料館案内マップ
番号の場所に瓦製のナンバープレートが置かれていて、
わかりやすかったです。

裏には、豊蔵の居宅を整備する際の職人さんの苦労話などが
載っていました。

趣のある門
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「陶祖源十郎景成」(通称:陶祖碑、石碑)
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牟田洞古窯は、16世紀後半、大平の陶祖 加藤景豊の次男・源十郎景成が開窯したと伝わる。その開祖を称え、昭和28年4月16日(旧暦2月19日 景成の命日)建立。虎渓山永保寺師家 嶋田菊僊老師揮毫。脇の顕彰碑は文:小山冨士夫。(案内マップの説明より)
きれいに整備されています。
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志野筍絵陶片を発見した場所に、昭和39年建立した
「隨縁」の石碑
(瓦製ナンバープレート9番)
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旧風呂場跡に作られた東屋
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東屋から外を眺める
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‥‥しかし、居宅からかなり離れた場所にある風呂場ですよね。
夜だと坂の上り下りが危ないし、冬は冷えて不便だったのでは?
(昔、実家の風呂とトイレが外で面倒だったなぁー)
東屋から坂を登ったところにある「黄瀬戸の壺」石碑
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昭和54年建立。豊蔵が語った妻への想いを汲み取り、知人・松岡一男が作詞した歌を刻む。題名は妻 志づの遺骨が豊蔵作の黄瀬戸壺に納められていることに由来する。
「黄瀬戸の壺」石碑の場所より居宅を眺める
下に見える屋根が旧風呂場である東屋
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居宅下にある「斗出庵」石碑
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昭和52年建立。居宅改築の時に建立したと思われる。昭和30年頃に、虎渓山永保寺師家 嶋田菊僊老師から戴いた豊蔵の号を刻む。
8番は「水ノ神」石碑
階段を上がった先にある居宅
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玄関を入った土間から囲炉裏の間、座敷を望む。
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外から掘りゴタツの間を望む。
豊蔵が日常を過ごす部屋だったそう。
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お城のような石垣の上に家が建っているんですね。
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しかし、ここ、暮らすのには結構厳しい場所だったのでは?
この時、3時前だったのに、もうかなり薄暗くて寒かったー。
車に戻って、どこかでお茶したいと検索すると、
すぐ近くの「東風谷(とうふや)」」という豆腐料理のお店に、
豆乳のチーズケーキが美味しかったって口コミを見つけて、
行ってみることに。
来るときにこの建物見て、気になってたんですよね。
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二人とも、豆乳のレアチーズケーキ580円と、
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コーヒー400円を注文。
サイフォンで1杯ずつ入れてくれました。
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せっかくなので、「最高の木綿豆腐」200円と、
「うの花」350円を購入。
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「最高の―」って言うだけあって、豆の味がしっかりした
美味しい豆腐でした。
食べログ
荒川豊蔵資料館: https://www.city.kani.lg.jp/10013.htm
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