「花鳥画の極 Real&Spirit
生誕140年記念 石崎光瑤」展をやっています。

今年(2024年)の美術展を紹介した「美術の窓」2023年12月号で
石崎光瑤展について結構なページを使って取り上げられていて、
へー、私好みの華麗で美しい絵、いいな‥‥って見たんですけど、
それから展覧会のことは忘れてたんですね。

石崎光瑤(こうよう)(明治17(1884)年~昭和22(1947)年)は、富山県福光町(現南砺市)に生まれ、明治後期から昭和前期にかけて官展を中心に京都画壇で活躍した花鳥画家です。大正5年から6年にかけての約9ヵ月に及ぶインド旅行に取材した熱帯の情景を見事に描き出した「熱国姸春」が大正7年の第12回文展で特選。翌年、第1回帝展に「燦雨」を発表して連続特選となり、色鮮やかな異国の自然を能動美あふれる作品として描き、新しい近代花鳥画を打ち立てました。後年は調和のある静謐な画風に転じ、自然の真美と理想の境地を求めました。(チラシ裏面の文より)
7月28日の日曜美術館アートシーンで、
石崎光瑤展が取り上げられていて、わーこれは見たい!
南砺市立福光美術館か、聞いたことがないけど‥‥って
ネットで調べたら、車で我が家から2時間15分程だと出ました。
去年行った砺波市美術館より近いなって。
https://shizukozb.seesaa.net/article/2023-06-06.html
南砺市立福光美術館: https://nanto-museum.com/
でも8月はパートも忙しくて平日の休みは無く、
巡回展の京都まで待つかなー。なんて思ったんですけど、
8月18日(日)に、思い切って出かけました。
世間ではお盆休みも終わるだろうから、
高速道路の混雑がちょっと心配だったんですが、まぁ、
東海北陸自動車道だから‥‥と。
9時過ぎに出発して関ICから高速へ。スムーズに流れていたけど、
途中休憩しようと、ひるがの高原SAへ寄ると、
駐車場に入る車の行列ができてました。
東海北陸自動車道の福光ICで降りて、
車のナビに従い(ちょっと間違ったとこもあったけど)
南砺市福光美術館へ着いたのが、12時少し前でした。
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(帰る時に撮影してます)
緑の中の落ち着いたたたずまい。
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得地秀生《生命の詩》1994
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ロビーから見える池の雰囲気も素敵。
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受付で観覧料一般1,000円を払い、まずは1階の第1会場へ
第1会場前には、石崎光瑤さんと一緒に記念撮影ができる等身大パネルが
明治40年 白山登山を前に万年寺にて
身長176cm は、当時の人にしては長身ですよね。
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チケットを提示して第1会場へ。なんと一部を除き撮影可!!
最初に展示されていた《虫類写生》には驚きました!
明治29~36(1896~1903)年 京都市立芸術大学芸術資料館
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まるで昆虫図鑑!
光瑤12歳から19歳までに描いたって解説に、さらに驚きました!!
次に《富山湾真景図》明治31(1898)年頃 南砺市立福光美術館
この六曲一双の屏風、光瑤十代半ば頃の若描きなんですって!!
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この右隻の波の表現やひしめく家々の細かな描写
―日本海側で初めて建設された西洋式灯台や測候所も描かれているそう―
そして、雪の立山の雄大な景色、すごいなぁ!!
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六曲一隻の金屏風に描かれた満開の藤の花! なんて絢爛豪華!!
《森の藤》大正4(1915)年 南砺市立福光美術館
第9回文展入選作
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《秋光》大正14(1925)年頃 南砺市立福光美術館
赤く色づいた蔦と白い菊、三羽の小鳥もかわいい。
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わー若冲みたい、って思った
見上げる高さの二曲一双の屏風(各260.0×182.0cm)
《雪》大正9(1920)年 南砺市立福光美術館
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第二回帝展出品作。光瑤の友人・土田麦僊は
左隻がとても良いと葉書で感想を伝えてきたとのことだけど、
私は右隻が好きだなぁ。
胡粉で盛り上げられた雪のボリュームがいい!
光瑤は、大正5年から6年にかけて、インドへ旅行します。
インドの情景を描いた
《燦雨》大正8(1919)年 南砺市立福光美術館
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鳳凰木の鮮やかな赤い花に降り注ぐ金色の雨。
インコが飛び交い、枝の孔雀は空を見上げて鳴いています。
第1回帝展で、前年の第12回文展に続いて連続の特選となった作品。
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チケットにも《燦雨》が使われていました。

この絵を見た十代の上村松篁(1902-2001)は強く感動し、
花鳥画の名手となって実際に熱帯花鳥に接して写生を重ねたうえで
制作した上村松篁《燦雨》昭和44(1972)年 松柏美術館
光瑤の《燦雨》左隻によく似ています。
《奔湍》昭和11(1936)年 南砺市立福光美術館
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荒れ狂う川の流れに流木。水の描写が細部を見ると、
繊細に様式化されたように描かれているのに、全体として見ると
奔流のリアルさに圧倒されます。でもなんか清冽で静謐な雰囲気を感じる!
光瑤は早くから伊藤若冲に関心を持ち、大正14年、
大阪・西福寺の障壁画《仙人掌群鶏図襖》を若冲真筆と
美術雑誌に発見報告の記事を書きます。
若冲だけでなく、広く古画を研究して学んでいます。
狩野永徳や狩野山雪・山楽の巨木表現を想わせる
《紅楓》昭和6(1931)年 南砺市立福光美術館
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小下絵画巻(大正期) 南砺市立福光美術館
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《雪》や《燦雨》の小下図ですね。
《隆冬》昭和15(1940)年 南砺市立福光美術館
紀元2600年奉祝美術展
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「隆冬(りゅうとう)」とは真冬のこと
大きな雁やオシドリなどカモの仲間が丹念に描かれていて、
乱れ飛ぶ構図が緊張感ありますね。
《襲》昭和17(1942)年
第5回文展に出品された作品
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「襲いかかる鷹から逃げまどうコサギとトモエガモ、シノリガモ、ミコアイサを描く。(中略)花鳥を描きつつも、そこに時局を託していると考えられる。」
(キャプションの解説)
晩年の光瑤は牡丹の花の写生に熱中したそう
《聚芳》昭和19(1944)年 南砺市立福光美術館
平安遷都1150年奉祝京都市美術展
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‥‥うーん、牡丹の執拗なまでの細密描写、確かにすごいけど、
私はやっぱりこういったロマンティックな作品が好きだなあ‥‥
《筧》大正3(1914)年 南砺市立福光美術館
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第8回文展で褒状を受け、宮内省買上げとなった作品。
一面の白い卯の花が素敵! 筧にとまるツバメも可愛らしい。
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第1会場は、屏風などの大作が並んでいて見ごたえありました!
階段を上がって、
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第2会場の入口前のガラスケースの中に
渡欧中の写生帖 大正12(1923)年
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「光瑤の写生帖は、京都市立芸術大学芸術資料館と南砺市立福光美術館に残されるものだけでも、あわせて200冊以上もある。その中で渡欧中の写生帖は10冊余り。渡欧した光瑤は古代エジプト美術にも関心を示し、ルーヴル美術館でもそのスケッチをしている。」
細かい字で書かれた紀行文「イタリア各地の美術館、教会、聖堂などを訪れ、さまざまな美術品を見学した様子がわかる。」
写生帖《禅林寺 智恩院》大正~昭和時代前期
京都市立芸術大学芸術資料館
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こういう古画研究が《紅楓》などの作品に生かされてるんでしょうね。
第2会場
《笠置応召図》明治35(1902)年 南砺市立福光美術館
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「笠置寺で倒幕を窺う後醍醐天皇が、楠木正成を御前に召し、挙兵を促す場面を描いた歴史画」
明治35年って、光瑤18歳の作品?!
建物の柱や屋根の瓦の線がすごく丁寧で端正ですごい!!
大正14年、光瑤は、大阪・西福寺の障壁画《仙人掌群鶏図襖》を
若冲真筆と美術雑誌に発見報告の記事を書きます。
その《仙人掌群鶏図襖》6面のうち2面を模写したものの1幅(右幅)
(左幅は前期展示)
《鶏之図(若冲の模写)》大正15(1926)年 富山市郷土博物館
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《麗日風鳥》大正13(1924)年 南砺市立福光美術館
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南国の華麗な鳥と花!
こちらは白い孔雀やキジが清らかな印象
左《藤花文禽》昭和5(1930)年 右《瑞兆》昭和3(1928)年
どちらも南砺市立福光美術館
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白いキジは、昭和天皇の即位の礼が行われた奉祝を込めて描かれたのだろうと。
第2会場展示風景
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《花鳥之図》昭和10(1935)年 富山県水墨美術館
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《罌粟(けし)》昭和11(1936)年 南砺市立福光美術館寄託
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《霜月》昭和17(1942)年 南砺市立福光美術館
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晩年の光瑤の徹底した写生で花や葉の一枚一枚まで
徹底して描かれていてスゴイけど、
私にはちょっと息が詰まるような気がする‥‥
《後圃》昭和18(1943)年 南砺市立福光美術館
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「後圃(こうほ)」とは家の裏の畑という意味。鹿ヶ谷カボチャの花と葉が大きく描かれ、右上にクロアゲハを添えている。
執拗なほどの細密描写!
この頃、中国の花鳥画にも関心を持った光瑤が
呂敬甫の《瓜虫図》明時代 根津美術館 などを念頭にした可能性も考えられると。
晩年の光瑤、スゴイけど、私には
精密描写が行き過ぎちゃってる気もした。だけど、
このウサキはふわふわしたカンジがすごくカワイイ!!
《遊兎》昭和21(1946)年 南砺市立福光美術館
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そして光瑤の写生や習作も展示されていましたが、どれもスゴイ!!
《鶏頭習作》制作年不詳 富山県美術館
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《コサギ《襲》下絵》昭和17(1942)年頃 南砺市立福光美術館
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第1会場で見た《襲》で逃げるコサギだ!
《立山登山 高山植物》明治39(1906)年 南砺市立福光美術館
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明治39(1906)年、光瑤は初めて立山に登山します。
石崎光瑤、インドを旅行したり、欧州へ行ったり、
立山をはじめ剱岳登頂、そしてヒマラヤの
標高3966mのマハデュム峰に日本人初となる登頂に成功と、
すごい、いいとこのお坊ちゃんなのかなって思ってたけど、
図録によると、
明治17(1884)年4月11日、富山県西砺波郡福光町(現・南砺市)に、
麻布問屋を営む名家の5男として生まれます。
本名・猪四一(いしいち)
が、父の事業が衰退し、十代前半に家族とともに福光を離れます。
明治36年、19歳で竹内栖鳳に入門するも、
翌年、日露戦争の兵役で1年弱塾を離れ、
明治38年、戦争が終結して再び栖鳳塾で学び、第10回新古美術品展で入賞
これからの活躍が期待されるも、
明治39年に父が亡くなり、故郷の福光へ帰り、
注文に応じて画を描いて生活を営む田舎の画家とならざるを得なかったと、
結構苦労してるんだーって。
立山へ登ったのは、父への弔いの気持ちもあっただろうと。
これを契機に光瑤は登山にのめり込んでいきます。
《立山写生 巻一》明治40(1907)年 富山県美術館
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《立山写生 巻二》明治41(1908)年 高岡市美術館
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白山の高山植物の写生をもとに描いた画
《白山の霊華》明治43(1910)年頃 南砺市立福光美術館
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光瑤のインド行の目的の一つがヒマラヤ登山だったそう。
そんな光瑤を支えたのが、故郷富山の人々で、
インド行の資金作りに「印度行画会」を起ち上げたりと
光瑤を一流の画家にしようと、熱い思いで支援してくれます。
《雪山夜色之図》大正7(1918)年 南砺市立福光美術館
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大正6年5月4日、ヒマラヤのマハデュム峰に日本人初の登頂に成功。
この山をモチーフとして描いた作品。
上手く写真が撮れてないですが、
第一次印度旅行の写生
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インドで写した写真なども展示されていました。
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2階から見下ろしたロビー
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1階へ降りて、第3会場へ
高野山 金剛峰寺の奥殿襖絵《雪嶺》昭和10(1935)年
八面が展示されていました。(撮影禁止)
この襖絵、寺外初公開だとか。
下部にわずかに平面的に塗られた緑色と、
上部に白く単純化されたようなヒマラヤの雪嶺が、
デザイン的にすっきりとモダンな印象を受けました。
《春律》昭和3(1928)年 京都市美術館
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第9回帝展出品作 幾何学的な緑の地面と岩、
対角線上に配置されたヤマドリの雄と雌、
とてもシャープでモダンな印象!
石崎光瑤の作品が展示されていた部屋の隣は、
棟方志功の作品が展示された部屋になっていました。
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《沢瀉妃の柵(おもだかひのさく)》1971年(昭和46年)
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棟方志功の書、すごくいいですね!
《宿業者是本能則感應道交》1949年(昭和24年)
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吉田龍象主催の念仏道場「白道舎」に飾られていた、曽我量深(元・大谷大学学長)の短冊「宿業者是本能則感應道交」という言葉を見て、瞬時に“他力”を感得し、喜びをそのまま、その場の襖に書いた作品。(置いてあった展示作品目録より)
南砺市立福光美術館のコレクションは、棟方志功と石崎光瑤で、
常設展示室1が棟方志功作品展示室、
常設展示室2が石崎光瑤作品展示室(今展では第3会場となっていた)
として、年3~4回の展示替えを行っているそう。
棟方志功と記念撮影できるパネルがありました。
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南砺市立福光美術館は平成6年(1994)に前身である福光美術館として開館しました。その設立のきっかけは、光瑤の御子息石崎宏矩氏より、画伯の作品制作のための素描や下絵など450点の寄贈があったことでした。(図録「生誕140年記念 石崎光瑤」によせて より)
今回の展覧会の所蔵先を見ても、圧倒的に南砺市立福光美術館のものが多いですが、
寄贈されたものだけでなく、代表作《燦雨》は、
この名作は海外流出寸前に、多くの関係者の尽力で奇跡的に当館で収蔵された。
(南砺市立福光美術館ウェブサイト: https://nanto-museum.com/
石崎光瑤のページ: https://nanto-museum.com/ishizaki_koyo より)
と、光瑤を支えた富山の人々の力を感じます。
棟方志功(1903-1975)は、
昭和20年から26年まで、富山県福光町(現南砺市)に戦禍を避けるため疎開。この間、数々の代表作を制作した。当館ではこれらの作品を中心に展示している。また、疎開中に生活した旧居は棟方志功記念館「愛染苑」内に保存され、一般公開している。
(棟方志功のページ: https://nanto-museum.com/munakata_shiko より)
棟方志功が福光に疎開していたこと、知らなかったんですが、
この後、美術館の分館である
棟方志功記念館 愛染苑 に行きました。そのことは次の記事で。
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この美術館に来て良かった!
石崎光瑤の作品はすごく私好みで素晴らしかったし、
彼を支えた生まれ故郷の人々、いいなぁって。
残念だったのは、代表作の一つでチラシ表面に使われている
《熱国姸春》が、前期展示(7月13日~8月5日)で見られなかったこと。
京都文化博物館の巡回展へ行こうかなー

《熱国姸春》と、京都展のチラシ裏面3段目の《白孔雀》も
見ようとすると、10月1日~14日の間かー。

京都文化博物館: https://www.bunpaku.or.jp/
特別展「生誕140年記念 石崎光瑤」のページ: https://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/20240914-1110/
「生誕140年記念 石崎光瑤」展は、
南砺市立福光美術館で、2024年7月13日(土)~9月2日(月) の後、
京都文化博物館で、2024年9月14日(土)~11月10日(日)
静岡県立美術館で、2025年1月25日(土)~3月23日(日)
東京 日本橋高島屋で、2025年4月23日(水)~5月6日(火)と巡回します。
図録や「美術の窓」の記事では、静岡県立美術館までの3館巡回となってたけど、
東京での巡回展が追加になったようですね(会期が短いけど)
図録 2,800円
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石崎光瑤の作品すごく私好みだったので購入するつもりでしたが、
最初に、作品の一部が原寸大で掲載されてたり、
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屏風や襖絵の作品が開いて見られるようになっているのもいいし、
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登山やインド行、若冲の発見など、多彩な活躍をした
光瑤についての解説もとても興味深かったです。
石崎光瑤展について紹介されていた
「美術の窓」2023年12月号
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バックナンバーはこちらから: https://www.tomosha.com/book/b637280.html
南砺市立福光美術館: https://nanto-museum.com/
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