名名古屋市美術館「北川民次 メキシコから日本へ」

7月21日(日)、名古屋市美術館へ行きました。

「メキシコから日本へ
 北川民次 展」をやっています。
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チラシ表面に使われている
《トラルパム霊園のお祭り》1930年 は、
名古屋市美術館の常設展示でたいてい展示されている
美術館を代表する絵の一つ。

手前に赤子を抱く女性、奥には棺を墓地へ運ぶ行列
生と死が一つの画面の中に描かれています。

愛知県瀬戸市に住んでいた北川民次の作品は、
名古屋市美術館をはじめ、愛知県美術館、瀬戸市美術館などに
多く収蔵されていますし、壁画も多く制作されていて、
この地域ではとてもなじみのある画家です。

名古屋市美術館の収集方針の一つが
「メキシコ・ルネサンス」なのも、北川民次との関りから。

そんな北川民次の大規模な回顧展が、約30年ぶりに
名古屋市美術館で開催されるとのことで、
見に行くつもりではありましたが、前売券までは買ってなかったです。
この日、名古屋駅近くの金券ショップをのぞいたら
チケットが1,400円で売ってたので、
(観覧料は当日一般1,500円)買っちゃいました。
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北川民次(1894-1989)
静岡県生まれ。1914年にアメリカに渡って学び、1921年から約15年にわたってメキシコで画家・美術教育者として活動。1936年に帰国後は東京の洋画壇で活躍し、第二次世界大戦後は瀬戸を拠点に制作を続けた。(チラシ裏面の文)

名古屋市美術館のある白川公園入口
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名古屋市美術館
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なんとこの展覧会、撮影禁止マークのある作品を除いて、
ほとんどの作品が撮影可!!


Ⅰ 民衆へのまなざし

最初に1948年に描かれた《画家の自画像》
(ガラスの映り込みで上手く撮影できてませんが)
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1916年から4年間、ニューヨークで働きながら美術学校に通った北川民次
美術学校で師となったジョン・スローン《ヴィレッジ監獄の解体》
同時期に美術学校に通った国吉康雄《帽子の女》
清水登之《建築現場(ワーガーデン)》が展示されていました。
(この3点は撮影禁止)

《やしの木のある風景》1921年
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北川がメキシコで給仕として働いていた家の関係者宅から見つかった作品
現存する最初期の作品で、キューバ滞在期に描かれたもの。

《踊る人たち》1929年 郡山市立美術館
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鮮やかな衣装を着て踊る人々。
メキシコ先住民の祭りの場面だそう。

《水浴》1929年 刈谷市美術館
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そして、《トラルパム霊園のお祭り》もここに並んでいました。
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《アメリカ婦人とメキシコ女》1935年(1958年補筆)郡山市立美術館
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銀鉱山で有名なタスコに住む白人と、彼らが雇っていた先住民のメイドの図
洗練された装いのアメリカ婦人と、裸足で質素な衣服の女性が対照的

《ランチェロの唄》1938年 東京国立近代美術館
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「ランチェロ」とは、農園や牧場で働く人のこと。
1936年に帰国して、第25回二科展に《メキシコ舞踏図》のタイトルで
出品した作品。1938年に日本では国家総動員法が制定されたが、
この作品は当時の世相を揶揄したものだそう。
国家権力に踊らされ、お祭り騒ぎをする国民を揶揄していると。

2015年に名古屋市美術館で開催された「画家たちと戦争」展
https://shizukozb.seesaa.net/article/2015-09-24.html
学芸員の解説も聞くことができたんですが、そこで、
アメリカやメキシコで暮らした北川民次は、
当時の戦時体制下を冷ややかに、批判的に見ていて、
反骨精神をもって生きていただろうと。


《家族写真》1943年 宮城県美術館
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あ、これアメリカの夫婦を描いた絵がモトになってるな! って。
その絵を描いた画家の名前も知らなかったけど
(私が見たことがあるのは、広告か何かに使われたパロディの絵)
グラント・ウッド《アメリカン・ゴシック》1930年 って絵だったんだ。
(ちなみに夫婦ではなくて、父と娘なんだとか)

戦況の悪化と二科展の活動中断に伴い、北川は瀬戸へ疎開します。
厳しい戦時下で、農作業に励みながら力強く生き抜く
画家自身と妻、そして二人の子どもが描かれています。


《出征兵士》1944年 東京都現代美術館
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戦時下の出征兵士を描いた、いかにも戦時下らしい絵だけど、
これは公の場には発表できなかった作品だったろうと。
当時「出征」は祝祭的に描かなくてはならなかったはず!
戦争に対する北川の見方を伝える絵。
この絵、「昭和のキャバレー王」こと福富太郎の旧蔵品。

あべのハルカス美術館「コレクター福富太郎の眼」で、
https://shizukozb.seesaa.net/article/2022-01-30.html
鏑木清方や退廃的な美人画(私好み!)の収集だけでなく、
戦争に関わる絵画の収集にも力を注ぎ、
そのコレクションは没後に東京都現代美術館に寄贈されたと。

私、オラファー・エリアソンの展覧会を見に行った
東京都現代美術館のコレクション展で、福富太郎から寄贈された
戦争画が展示されてるのを見たことがあります。
東京都現代美術館コレクション展「いまーかつて 複数のパースペクティブ」
https://shizukozb.seesaa.net/article/2020-07-17.html


Ⅱ 壁画と社会

大作の絵が並んでいます。北川が到着した1920年代のメキシコは、
壁画によって、社会に思想やメッセージを伝えて啓蒙しようという
「メキシコ壁画運動」が巻き起こっていた時代。

そんな北川が「壁画をかく心持でかいた」という
178.1×267.0cmの大作
《タスコの祭》1937年 静岡県立美術館
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1936年に帰国した北川が、1937年の第24回二科展に出品した絵のうちの1点
日本人としては非常に珍しい仕事をする人である」と注目され、
二科展会員に推挙されたとのこと。


こちらも181.2×273.5cmの大作
《メキシコ戦後の図》1938年 宮城県美術館
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「メキシコ戦後」とは、1910年代のメキシコ革命の後とのことだけど、
今見ると、日本の敗戦を暗示しているような図にも見える。
二科展に出品した当時(昭和12年)も、
大砲を向けられている山(ポポカテペトル)が富士山に似ていることから、反国家的な含意を疑われたという。「思いもよらぬ問題」と北川は回顧しているが、この不穏な情景には、当時の日本を重ねずにはいられまい。(キャプションの解説より)

《大地》1939年 新潟県立近代美術館・万代島美術館
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ディエゴ・リベラによるチャピンゴ農業学校の壁画(1923-27年)との関連が指摘されている。(中略)
眠る裸婦の右腕付近には、聖書を思わせる「NOLI ME TANGERE(私に触れるな)」というラテン語が書かれており、裸婦を起こさないことで穏やかな日常をそのままに、という願いが込められているかのようだ。(中略)大地は「侵略されるもの」の象徴であり、日本軍が侵略を続ける中国大陸を示唆しているかもしれない。



《赤津陶工の家》1941年 名古屋市美術館
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陶器制作に携わる職人たちが描かれているが、実際の光景ではなく、
成形や絵付け、窯入れといったさまざまな工程を一つの画面に構成した絵で、
時間や場所も異なる複数の場面をまとめあげる手法は、
メキシコ壁画からの影響を指摘できると。


《農漁の図》1943年 東京都現代美術館
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地面のピンクや、屋根の黄色が明るく、
北川の絵にしてはカラフルで、のどかな絵だなって見たけど、
昭和18年、戦時下に開催された最後の二科展で発表された絵!


2022年の「ゴッホ展」の所蔵品展で見て、
https://shizukozb.seesaa.net/article/2022-04-19.html
さすが反骨の画家、自分にも容赦しないなぁって見た
《雑草の如くⅡ》1948年 名古屋市美術館
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テーブルの上に持つ者、下に持たざる者を描いた絵だが、
下でひしめく人を見下ろして、
テーブルの上で女性と戯れながら酒を飲む2人は、
東郷青児と北川だという説もあり、二科会を風刺した絵ともとれると。

その隣に展示されていた
《雑草の如くⅢ(裸婦)》1949年 静岡県立美術館
「画家たちと戦争」展に出品されていた絵で、
二科展の前夜祭で若手画家たちがヌードモデルを担ぎ上げ、
街を練り歩くイベントを痛烈に風刺した絵だと。


《白と黒》1960年 刈谷市美術館
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1960年の日米安保条約調印をめぐる激しい反対運動に刺激を受けて描いた作品
黒い機動隊に対する白い衣服の人々。下の女性は、安保闘争の犠牲となった
学生運動家・樺美智子だと考えられると。


Ⅲ 幻想と象徴

1920年代のメキシコでは、壁画運動も盛んだったが、
キュビスムやシュルレアリスムといった国際的な美術動向に共鳴する人々もいて、
北川はこれらの動向からも大きな影響を受けていると。

《メキシコ静物》1938年 東京国立近代美術館
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わー、北川もこんなシュルレアリスムの絵を描いていたんだと。
1943年に瀬戸へ疎開するまでの約6年間、北川は「池袋モンパルナス」と呼ばれる多くの芸術家が住む地域に暮らしていた。直接的な交流については充分明らかになっていないものの、福沢一郎をはじめ日本のシュルレアリスム受容に重要な役割を果たした芸術家たちとのやりとりもあったに違いない。(図録より)


《家族と画家夫妻》1945年
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平和で穏やかな家族の肖像のように見えるけど、
(山羊やウサギ、鶏もいるし、テーブルにはコーヒーやフルーツがある)
終戦の年に描かれた絵なんだなーと。


階段を上がって2階の展示室へ行くと

Ⅳ 都市と機械文明

都市の風景、とりわけ瀬戸の工場の風景や、そこで働く人が描かれています。

瀬戸市から依頼を受け、「瀬戸」を題材とした絵葉書の原画として制作された
リノカット版画11点《瀬戸十景》1937年 名古屋市美術館
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そのうちの1点《6 ろくろを廻す男》
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リノカットの大胆な黒と白の対比が素朴で力強い。
でも市には受け入れられなかったようで、採用されなかったそう。
(市は風光明媚な観光名所を描いてほしかったんだろうなー)

第日本海洋少年団の嘱託画家として練習船・海王丸に同乗して描いた絵
働く練習生たちの姿も描かれています。
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Ⅴ 美術教育と絵本の仕事

1920年代のメキシコでは「野外美術学校」が次々と設立されていて、
北川もトラルパンやタスコで野外美術学校の活動に携わります。

《本を読む労働者》1927年 郡山市立美術館
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この絵が「メキシコの日本人画家」として掲載された雑誌も展示されていました。
野外美術学校派の画家・ガブリエル・フェルナンデス・レデマスが創刊した
『フォルマ』第7号(1928年)


タスコ野外美術学校で、のちに画家となった生徒の作品の展示もありました。
デルフィーノ・ガルシア《タスコのロバ》1935年
アマドール・ルーゴ《龍舌蘭とサボテンと樹》1939年
(撮影禁止でした。名古屋市美術館の常設展で見たことあったなー)


帰国したあと、メキシコで学んだ教育手法を日本で実践しようとします。
美術教育への関心を共有する批評家・久保貞次郎と知り合い、
戦時中、彼の支援を受けながら、子どものための絵本出版に熱中します。
《久保貞次郎肖像》1949年 真岡市教育委員会
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北川が手掛けた絵本《マハウノツボ セトモノノオハナシ》の原画 1941年
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陶器をつくる工程が描かれています

《ジャングル》下絵 1941年頃
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ジャングルで、ゾウがいじわるの原因をたどっていって、
たどり着いたライオンを追い出して、仲良く暮らすというこの話。
ゾウが日本軍を表している?


そして、メキシコのアステカ文明に伝わる昔話をもとにした
《うさぎのみみはなぜながい》
‥‥えー?! これ、うさぎの策略には感心するやら怖いやらだけど、
こんなことを命ずる神様ってひどくない??
虎とワニと猿が気の毒だー。
1942年頃には原画が描かれていたが、戦時下で紙を手に入れることが難しく、
出版されたのは約20年後の1962年だそう。


終戦後の1949年には、名古屋の東山動物園で
「名古屋動物園児童美術学校」を開いて
美術を通して子どもたちの自由な精神を伸ばそうとするが、
あまり上手くいかなくて、
次第に美術教育の実践からは手を引いていきます。

《画家の仲間たち》1948年
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画面上部に描かれた3人が、
名古屋動物園児童美術学校をともに開校することになる
鈴木幸雄(幸生)、安藤幹衛、滝本正男で、
北川は下で紙を差し出されている眼鏡の人物。

《夏の宿題》1970年 愛知県美術館
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宿題をする子どもの背後を取り囲み、威圧的に目を光らせているのは、
母親や当時の文部大臣で、
手前の紙には「シュクダイがないと子どもは何を考えていいか分からなくなるとラヂオの先生がいいました。ナニが私たちをこんなにしたのでしょうか」と書かれています。

メキシコで学んだ自由な美術教育は、日本の子どもや環境に
あまり受け入れられなかった。そんな当時の日本の教育を
批判的に描いた作品のよう。


2階展示室を出て、展示は地下1階へ続くとのことでしたが、
1階のコーヒーショップでちょっと休憩していこうと。

北川民次展特別メニューっていうコーヒーがあったので、
せっかくだからとそれ注文したんですが‥‥
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かなり独特な、酸味の強いコーヒーで、美味しかったし、
たっぷりあったけど、これで1,000円はちょっと高いな。
フツーのコーヒーにしても良かった(^^;


地下1階の展示室3では、

エピローグ 再びメキシコへ

北川民次は、1955年に再びメキシコへ旅立ちます。
かつて暮らした地を訪れ、リベラやタマヨ、シロイケス、
教え子たちとも再会します。

各地の風景や人をのびのびと描いています
《サン・ミグエル寺院展望》1955年 瀬戸市美術館
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20年ぶりのメキシコで注目したのは、
壁画運動で使われたフレスコ技法の時代が去り、
モザイク壁画が流行していること。

帰国後、名古屋や瀬戸に北川民次のモザイク壁画が作られていきます。

INAXライブミュージアム「ナゴヤモザイク壁画時代」で、
https://shizukozb.seesaa.net/article/2022-03-26.html
名古屋周辺のモザイク壁画が紹介されていて、
北川民次が制作した名古屋旧カゴメビルの壁画の一部も展示されていました。
(2020年、ビルの建て替えにともなって取り外され、
一部がINAXライブミュージアムに寄贈された)

名古屋旧カゴメビル壁画原画《TOMATO》1962年頃 カゴメ株式会社
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名古屋CBC会館壁画原画《芸術と平和》1958年 中部日本放送株式会社
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名古屋CBC会館の壁画 2022年7月13日撮影
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説明板には、
北川民次(1894年-1989年)

芸術と平和

1959年 7.12m×14.72m 大理石

制作 矢橋代理店商店

壁画を「誰もが見ることのできるメディア」と位置付けた北川民次の初の屋外壁画作品。

人々が協力し、幸福に平和に暮らすことを作品を通して伝えたいと考え「芸術と平和」を画題とし、芸術に関わる様々な道具を手にした8人の女性を原画に描いた。

これを大理石加工を専門とする矢橋六郎らが当時国内最大級の大理石モザイク壁画に造り上げた。総重量9.3トン約18万個の大理石が使われている。

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瀬戸市民会館陶壁原画 陶器を作る人々
《焼成》《製陶》《採土》 1959年
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瀬戸で作られた磁器質タイルが使われているそう。
2005年に新設の複合施設「瀬戸蔵」へ移設されています。

瀬戸市立図書館陶壁原画《無知と英知》1970年 瀬戸市美術館
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1978年に84歳を迎えた北川は筆をおくと宣言します。
その前年に描かれた、おはらく最後の自画像
《バッタと自画像》1977年 島田市博物館
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北川は、1960年代以降の作品にサインに添えて、しばしば
バッタの姿を描き込んでいます。
バッタは、1匹では微力であっても、集団では農作物への脅威となりうる。
絵筆によって抵抗し続ける自身を象徴しているのではと。


メキシコから日本へ。北川民次の多彩な活動を紹介した大回顧展。
充実の展示でした。

図録 3,500円
(あれ? 図録の裏には本体3,500円+税と書かれてるけど、ショップで3,500円で買えた)
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表紙には《ロバ》1928年 愛媛県美術館 が使われています。

この展覧会、
名古屋市美術館で2024年6月29日(土)~9月8日(日)に開催された後、
世田谷美術館で、2024年9月21日(土)~11月17日(日)
郡山市立美術館で、2025年1月25日(土)~3月23日(日) と巡回します。


所蔵品展では、最初や現代の美術の部屋で
芥川(間所)紗織の作品が展示されていました。
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私、今まで名前も聞いたことがありませんでしたが、
愛知県生まれで(旧姓・山田)、作曲家・芥川也寸志と結婚していたんですね。

生誕100年となる2024年、全国の10美術館に所蔵されている沙織作品を
各美術館の展覧会で展示してもらうというプロジェクトに賛同して、
北川民次展の期間中(6月29日(土)~9月8日(日)のコレクション展で
所蔵する作品6点を展示している(一部は半期展示)そう。
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中でも代表作の一つとされる《古事記より》1957年
172.0×660.0cmという大きさのロウケツ染めの作品
神々が怪獣のようでユーモラスで迫力。

コレクション展は撮影禁止でしたが、解説シートがありました。
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芥川(間所)沙織 生誕100年 特設サイト: https://saori-100th-anniversary.com/
芥川(間所)沙織 公式サイト: https://saori-m-akutagawa.com/


メキシコ・ルネサンスのコーナーでは、
北川民次展の関連企画として、北川に師事し、
東山動物園児童美術学校にも協力した安藤幹衛や、
北川に影響を受け、メキシコをテーマとした作品を描いた伊藤高義、
やはり北川の影響で、メキシコに渡り制作を続けている竹田鎭三郎
の絵も展示されていました。



名古屋市美術館: https://art-museum.city.nagoya.jp/

この記事へのコメント

  • sknys

    撮影可と不可は著作権の保護期間によるそうです。
    北川民次(1894-1989)は撮影可で、デ・キリコ(Giorgio de Chirico 1888-1978)が禁止というのは不可解ですが。
    北川さんはフリーダ・カーロ(ディエゴ・リベラの妻)と面識があるのかな?

    「デ・キリコ展」(東京都美術館)で、ギュリコ(G. D. Gurico)の〈形而上絵画に潜むギュスターヴたち〉からトリミングした缶バッジを購入しちゃいました。
    ギュスターヴくんは蛸足・蛇手の猫キャラにゃん^^;
    https://www.instagram.com/p/C6QOoKvp4_Y/
    2024年08月12日 12:10
  • しーちゃん

    sknys さん、コメントありがとうございます。
    最近は撮影可の展覧会も増えてきて、ブログに記事を書くにはありがたいです。
    展覧会で、ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロのサン・アンヘルにある「赤い家」を描いた水彩画が展示されていて、北川が1955年にメキシコを再訪した時、ここでリベラへのインタビューをしたって解説にありましたが、フリーダ・カーロ(1907-1954)はその時はもう亡くなっていたわけですよね。戦前のメキシコ滞在中に面識があるかどうかはわかりません。
    デ・キリコ展、面白そうだけど、東京都美術館では8月29日(木)までかー。神戸市立博物館へ巡回‥‥うーん。
    2024年08月16日 11:48
  • sknys

    「子なしの猫好き女性」 レメディオス・ヴァロさんとの面識もなかった?
    神戸市立博物館の特設サイトを覗いたら、写真撮影OK作品が9点もあるじゃないの。
    トビカンでは全面禁止だったのに、これって一体どういうことなの?
    https://www.ktv.jp/event/dechirico/#c10

    「山田五郎 オトナの教養講座」(YouTube)で紹介していた長尾天の『ジョルジョ・デ・キリコ』(水声社 2020)を読むと、「形而上絵画」 への理解が深まります^^
    2024年09月21日 13:58
  • しーちゃん

    sknys さん、コメントありがとうございます。
    レメディオス・ヴァロさん、名前も知りませんでしたが、Wikiで見たら、彼女がメキシコに到着したのは1941年だと。その時にはもう北川民次は日本に帰国していたので、面識はないと思います。ネットで見た(今は便利だなぁ!)レメディオス・ヴァロの絵は、透明感ある深い色で描かれた幻想的な光景が素敵ですね。
    「デ・キリコ展」神戸までちょっと行きたくなってしまった。
    2024年09月24日 09:22
  • サンフランシスコ人

    「北川もこんなシュルレアリスムの絵を描いていた」

    サンフランシスコ近代美術館にディエゴ・リベラのシュルレアリスムの作品があります...

    http://www.sfmoma.org/artwork/40.6551/

    Diego Rivera
    Symbolic Landscape, 1940
    2024年09月27日 05:37
  • しーちゃん

    サンフランシスコ人 さん、コメントありがとうございます。
    ディエゴ・リベラもこんなシュルレアリスムの絵を描いていたんですね。メキシコにも国際的な美術動向が押し寄せてきてたんだなって。
    2024年10月19日 14:57